赤い点滅

どういうわけなのかぼくにはわからないけれど、きょうみたいに曇っている日でも、すごく遠くの灯りまでみえる日もある。東京は夕方ごろに雨が降った。ぼくはそのとき古本屋を出てちょっと歩いていたところで、古本屋に寄らずに帰っていたら雨に降られなかったのにな、とおもいながら、これはちょっと濡れて帰るには本格的すぎる雨になりそうだとおもって、明治通りでかなりびしょびしょになりながら、いそいで近くの大型書店に飛び込んだ。雨が降っていないときから、たくさんのひとたちが傘を持ち歩いているのが目に入っていたから、きっとそういうふうな天気予報だったのだろうとおもった。ぼくは天気予報をみていなかった。みていたかもしれないけれど、まったく気にしていなかった。気分転換にふらっと散歩に出ただけだったし、雨が降りそうだからといって念のために傘を持って外出するような律儀さも持ち合わせていないから、ここぞとばかりに傘を開くひとたちをながめながら、ひとつひとつの開かれる傘に対して「律儀、律儀」と心のなかでおもっていた。

本屋で時間をつぶしながら、ときおり窓際に行って空模様というか雨模様をたしかめたり、「アメッシュ」をなんどもみたりして雨雲が通りすぎるのを待つあいだに、ぼくは買うつもりのなかった2冊の本を雨宿りのお礼みたいにレジへと運ぶことになった。いつかは買うつもりの本だったけれど、少なくともきょう買うつもりではない本だった。古本屋ではさんざん迷った挙句になにも買わずに店を出たので、もし古本屋で雨宿りをしていたら、そっちで本を買っていたのかもしれない。たった10分くらいの時間のずれによって、買ったのはジュノ・ディアスと柴崎友香になったけれど、もしかしたらシモーヌ・ヴェイユになっていたのかもしれなかった。そしてぼくはこの先、永遠にシモーヌ・ヴェイユを手に取らないことになるのかもしれない。

けさは、そういえば、LINEの通知の震えでぼくは目が覚めた。高校の同級生のグループのLINE。Yくんが、名古屋に住んでいるSくんに「すごい雨だったみたいだけど、Sさん大丈夫?」というメッセージを送っていた。Sさんは「ご心配ありがとう。名古屋駅にあるオフィスに無事出社できたよ」と返事していた。ぼくはまだ起きる時間じゃなかったから、そのやりとりには参加せずにまたそのあとも眠った。

午後になってから「ミヤネ屋」で浸水した名古屋駅の映像をみた。Yくんの書いていたとおり、地下鉄が下水道みたいになっていた。夕方になって雨が降ってきたとき、名古屋駅を水浸しにした雨雲がきっとこっちの方までやって来たのだとぼくはおもった。

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地上付近の塵やなにかがすっかり洗い流されたせいかもしれない。ぼくの基準では、台風のあととかお正月とか、いちばん空気がきれいなときにしかみえない遠い遠いビルの赤い点滅までもがみえるから、きょうはとても空気がきれいなんだとおもうけれど、曇っている日にあれがみえるのはちょっと珍しいような気がしたのがこれをいま書いている理由だ。さっきベランダに出たことで、ぼくはまたSさんの子どもの5歳のソウタくんのことをおもいだすことになった。

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ぼくの部屋のベランダからは中野サンプラザがみえる。
ほかの高いビルと同じように、夜になると赤い光が点滅している。
それはこんな感じに並んでいる。

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このあいだ、名古屋からSさんとソウタくんがぼくの部屋にやって来たとき、録画したアニメの「ジョジョ」を見終わったあとで、いっしょにベランダに出た。その日は中野でごはんを食べて帰ってきたので、「ほら、あそこにみえるのがさっき通った中野サンプラザだよ」とぼくはソウタくんに教えた。

「あの、5こ点滅してるところ?」とソウタくん。
「そうだよ」とぼく。
「あれ、ほんとは6こあったんじゃないの?」

ソウタくんがそう言ったとき、ぼくはほんとうにおどろいてしまったというか、ほとんど感動してしまった。

つまり、ほんとうはあの点滅は

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こうだったんじゃないかとソウタくんはおもった、ということなんだけれど、それはつねづねぼくもおもっていることだった。この世に、あの5個の赤い点滅をみてそんなことをおもう人間がいるなんて想像もしていなかった!しかも5歳!

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いつか、そのことをソウタくんと話したいな。ほんとうは6個だったかもしれない点滅のことを。でも、きっとそんなことは忘れているにちがいないし、そのころにはもう中野サンプラザは存在していないのだ。