さようなら、グリコ・スペード

その日、ぼく(当時41才)は、生まれてはじめて横浜スタジアムのボックスシートに座っていた。真っ赤に染まるレフトスタンドを向こう側に誇らしく眺めながら、まるで敵国に潜入したスパイ。といったような紋切り型の気分を味わっていた。9回表にブラッド・エルドレッド(当時38才)が山崎康晃(当時25才)からホームランを打って1点勝ち越し、そのままカープが勝利した日のことだ。

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ぼく(42才)は、いま、あれからおよそ半年ほどの未来にいて、この文章を書いている。

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2018年4月26日、大学時代からの友人(当時40才)が野球観戦に誘ってくれたのだった。木曜日のナイトゲーム。そのような突然の連絡は、じぶんがフリーランスで働いているということがとても好ましくおもえる数少ない機会だ。そうしたければいつでも、気分次第でどこにだってさっと出かけられるということ。そういった潜在的な自由をぼくは愛するものである。実際のところは、ほとんどまるでどこにも行かないとしてもだ。

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その悲しいほどの行動範囲の狭さは、おそらく塀の中の懲りない面々にすら匹敵するのではないかとぼくは推測する。その沈痛なる事実を隈なく証明するために、全世界へ向けてGPSログを公開したいほどである。きっと全米が泣く。All of America will cry.

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というわけで17時40分に集合し、横浜スタジアムでぼくは友人家族(妻、娘、息子)と横浜 vs 広島戦をみたのだった。ちなみにかれらはむろんベイスターズファンで、ぼくはただひとりカープファンである。

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勝利したことによる満足感をひとり押し隠しつつ、試合が終わって電車に乗って帰るまで、かれら家族といっしょの時間を過ごすなかで、ひとつのある疑問が浮かび上がることになった。

それはかれの娘(当時7才)と息子(当時3才)がお父さん(つまりぼくの友人、当時40才)に、まるで姉弟で競い合うかのように、うらやましくなるほどの甘えっぷりと、一点のくもりもない信頼を示している(修辞的な意味ではなく、文字通り身体的接触という意味で)のを目の当たりにしたためだった。

その様子をみてぼくは「じぶんはどうだったかな…?」と、ふとおもうことになった。ぼく自身の記憶では、そこまでだれかを手放しで信頼し、その気持ちを示したことが、かつてあったようにはおもえなかったからだ。少なくとも10才くらいから以降、ぼくには両親と身体的に接触した記憶が、ほぼないのである。

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この社会のコードは、「身体的な接触」というものにあるとくべつな意味を与えているようにおもわれる。必要以上に、といってもいいかもしれない。日本にはハグの文化もないし、男女が密着するようなダンスもしない。モンゴルのように大人になっても実の母親の母乳をのむ、などといった、ちょっとびっくりするような風習もない。

だからおそらくぼくの、両親との最後の身体的な接触は「肩もみ」や「肩たたき」だったのではないかとおもわれるのだが、ということは、ぼくが長いあいだまったく親孝行をしてこなかったことの傍証にもなってしまうというわけだ。ありゃりゃ。

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たとえば、めったに外に出ないぼくは、パーソナルスペースが基本的に8畳の部屋くらいになっている。だから人混みや、満員電車に乗ることに、とてつもない苦痛がともなう。

そのようなパーソナルスペースを維持したままでは都市生活は営めない。だからきっと人々は耳にイヤホンをして、視界をスマートフォンの画面に釘付けにし、身体の感度をなるべく下げるよう努める、というようなことを日々実践しているのではあるまいかとぼくは推測する。「社会的な身体」という匿名的なバリアを、「個人的な身体」のまわりに張り巡らせるのだ(だからおそらく電車内における痴漢行為というものは、二重の越権行為であろう。ふたつの、あるいはそれ以上の鍵が破られるようなものだろうからだ)。

そしておそらくその延長線上に、マスクを装着することや、あらゆる種類の消臭グッズの使用といった嗅覚に関する遮断の作法が存在するはずだ。現実に対する聴覚、視覚、嗅覚の入力レベルを下げる、と同時に動物的な身体性に関する出力を下げることで、お互いにどうにかやり過ごそうというわけだ。息を止めて水中にもぐるように。ここでは味覚はおいておくとして、では触覚についてはどうだろうか。

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おととし、2016年の初夏から冬にかけて、ぼくはある会社で半年ほど臨時で働いていた。最寄りの駅から山手線で25分弱。ひさびさの通勤である。10年ほど前に肉体労働をしていたときは、もっと朝が早かったために電車はまったく混んではいなかった。だから混んでいる電車に日常的に乗るのは、高校生のとき以来だった(大学はおもに昼から行っていた)。つまりそれはほとんど20年数年ぶりの経験である。

まず最初に感じたことは、これは背の高さも関係してくるだろうが、頻繁にだれかのスマートフォンが肩に当たる、ということだった。かつて日常的に経験していた満員電車は携帯電話普及以前である。スマホにはむろん持ち主の神経が通っていない。それは身体の延長物では決してない。カバンとかリュックとかと同じだ。すげえ肩に当たるな、とぼくはおもった。

そしてふたつめに感じたことは、女性の長い髪がとてつもなくおぞましい、ということだった。これがなんらかのハラスメントにならないなんてどうかしている、とすら感じた。髪ハラ。それはもしかしたらこの20年のあいだに、ぼくがそれまで女性に対して抱いていた幻想がことごとく解除されたことの証しかもしれなかったが、どちらかといえば、じぶんの皮膚の感度の解像度が上がっているというような感覚だった。昔よりもじぶんはずいぶん繊細になっているのだ、とぼくはおもった。バリカンを使って片っ端から丸刈りにしていったら、さぞかしさっぱりするだろう、などと、終戦後のナチ協力者に対するパリ市民のような残虐的な空想がとまらなかった。朝から。

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横浜スタジアムのボックスシートからちょうど10日後、ぼくは神宮球場の内野指定席でヤクルトvs広島戦をみた。途中で、後ろの席に家族連れがやって来た。40代くらいの夫婦とその息子。何才くらいだろうか。8才とかくらいかな。席についてからずっと「ぜんぜんみえない〜」とぼやいているのが後ろから聞こえてくる。前にいるぼくたちの背が高いので、小さな男の子は座っていると野球がまったくみえないのだ。だから男の子は立ってみたがるのだが、そうすると父親に注意される、ということを繰り返していた。その子はほんとうにしつこく「みえない!」という不満を発し続けていて、なんという粘り強い子なのだろうと感心してしまうほどだった。

ぼくはぜんぜんそういう子どもではなかった。だから、そういうような、どうにもならないことに対していつまでも不平を言うような態度をとってもよいものなのだなあ、と新鮮な驚きを感じていた。そして、「席を交換しましょうか?」という提案をしようかどうか、ずっとかんがえていた。なるべくその男の子に野球がみえるようにじぶんの身を縮めながら。でも、どっちがより教育的な機会となるのだろうとかんがえて、結局、そのままにすることにした。この世にはじぶんの力ではどうにもならないことがある。

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2018年5月9日、ぼくの42才の誕生日の翌日、猫のグリが死んだ。前日までふつうだったのに、とつぜん血を吐いて死んでしまったのだそうだ。いったい彼の身になにがあったのだろう。それはもうだれにもわからない。

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この6、7年は事情があって離れて暮らしていたけれど、グリとぼくはかつて10年かそこらいっしょに暮らしたのだった。自宅でずっと仕事をしてきたぼくは、四六時中、グリと過ごすことになった。かれはとても長い時間をぼくのひざの上で過ごした。それは、一般的な「飼う」というような関係性とは、ほど遠かったようにおもう。いってみれば、ひとつの魂が猫と人間にわかれているみたいな感じだった。向こうはどうおもってたのかわからないけれど。

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ぼくはグリのことを猫だからとか動物だからとか、そういうふうにあんまりおもっていなかった。もっとなんというか対等な存在の感じだった。だから主張がぶつかることも多かった。言い方が難しいのだが、ほんとうはぼくがそうしたいことをグリがいつもしているので、どうしてじぶんはそうできないのだろう、というジレンマのようなものを感じていた、といえばいいだろうか。猫に対して、そんなふうに真剣におもっているひとなんて、あまりいないのかもしれないとおもう。なんだかバカみたいだけれど、ぼくは生まれてはじめて、だれかに対して心をひらいたのだという気がしたものだ。

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2000年の7月ごろに生まれたかれは、もうすぐ18才だった。猫の18才は人間でいうと88才にあたるのだそうだ。だから長生きしたんだなあ、というように納得して、じぶんを慰めることなんてできそうにない。ただただ悲しくてつらいばかりだ。それにしてもこんなにもつらいものなのだろうか? こんなにつらいことがまだあったなんて、という感じだ。きっとグリは、ぼくの人生でもっとも長い時間、身体的な接触を持った動物だったからにちがいない。両親よりも、恋人よりも、長い時間を触れ合って過ごしてきたのだ。

これでぼくの誕生日は、ふたつの命日にはさまれてしまった。5月7日の祖母と、5月9日のグリの命日に。

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この世には、いろいろなどうにもならないことが、うんざりするくらいたくさんたくさんある。前もってそのリストを渡されていたとしたら、とてもではないけれど、ひとは生きて行こうとはおもえないのではないだろうか、と感じるほどだ。

ぼくはこの10年くらいのあいだに、なかなか多くの身近な人間を失ってきた。なんというか、ほとんどみんなあっさり死んでしまって、なんという潔さなのだろうかとおもう。すごく素敵なさわやかな感じだ。みんな、なんとなく、生き様に似つかわしい。

ぼくたちは、まいにち自動的におとずれ、その貴重さがよくわからないままの時間を、愛するひとたちや動物たちとともに過ごしたり、過ごさなかったりする。きっとあとからならわかる。なにかがあったことと、なくなってしまうことの違いを。でもそれは前もってかまえておくようなことはできないものなのだ。かまえられるとおもえることこそが嘘だ。そこにあるもののことを、ないとおもうことは決してできないからだ。

なにかを愛したことでいつか悲しみが増大するとしても、その増えた部分に、ぼくたちがかつて存在していたことのたしからしさが宿る。それは心の中にではない、ような気がする。たしかな感触として、ぼくの膝の上には黒くて丸い、やわらかで毛むくじゃらのあたたかないきものの痕跡が、いつでも点滅しながら物理的に存在している。そのような皮膚の経験と記憶を集めること。そのおでこの匂いと、背骨の感じ。いつでも触れたいとおもわせる、あの感じ。噛まれたり、引っかかれたりしたときの、あの痛み。

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きょう11月24日は、父(当時59才)の命日である。妹(40才、当時32才)のinstagramでそのことを思い出した。なぜだかぼくはこの日のことをうまく記憶できないのだ。