死神のオペレーター

母親からの電話が良い知らせだった試しがない。

きのうの夕方、祖母が亡くなった。

iPhoneが震え、そのディスプレイに母親の名前を確認した時点で、ぼくはなんとなくそういう予感がして身構えた。まるで緊急地震速報みたいだ。

この10年のあいだにぼくは祖父を亡くし、父を亡くし、祖母を亡くした。それらの死を、ぼくはすべて母親からの電話で知らされることになった。はっきりいって、ぼくはもうかの女からの電話を着信拒否したいくらいなものだ。なにしろ電話がかかってくるたびにひとが死ぬ。ひと仕事終えた律儀な死神から逐一その報告を受け取っているみたいな気分だった。

急いで申し添えておくべきだろうとおもうが、むろん、母にはなんら罪もない。微塵もない。電話がかかってくるたびにひとが死んでいるわけではない。その通話ではただ事実が告げられるのみだ。死は、いつでも死そのもののような哀しみの声で告げられたが、かの女は死神ではない。いわば死神のオペレーターだ。そのことはよくわかっているつもりだ。それがどんなに辛い仕事であるのかということも。

だが、父が亡くなる前の何ヶ月か、ぼくは毎日のように母から電話がかかってこないことだけを祈っていた。ほかにいくらでも祈るべきことがあるのに。

その季節、電話の向こう側は、間違いなくあの世につながっていた。

そして、その電話は絶対にかかってくるのだ。

ぼくたちがその電話を無視することは、決してできない。だれにもそんなことはできない。