東京都内のメリー・ゴー・ラウンド

埼京線に乗っていないときには、ぼくは山手線に乗っている。これがこの世界における真理である。ひとはだれも、おなじ区間を並走するふたつの路線上の車両に同時に存在することはできない。それに、山手線が気ままに、気のおもむくままに、埼京線の線路の上を走って大宮に行ったりすることはできないし、たとえば、風が強いからといって、武蔵野線が西国分寺から中央線に退避するようなことだってできない。鉄路の運命である。いわば電車とは、決められたレールの上しか走れない優等生野郎なのである。というか、決められたレールの上、というような表現は電車から連想されたものなので、そんなことを指摘したって鳶で鷹を釣るようなものである。もしくは海老が鯛を産むようなものである。

とにかく埼京線に乗っていないときには、ぼくは山手線に乗っている。そして、そのとき、必ずといっていいほど山手線は埼京線に追いぬかれてしまうのだ。「マーフィーの法則」のようなものだとかんがえてくれたらいい。ちょっと古い法則だけれど。

でも、だからといって最初から決め打ちで埼京線を待っていると、何本もの山手線が入線しては新宿方面へと走り去ってゆくのを見守り続ける、といったことになりかねない。そのときの気持ち。同期が先に昇進するような。って就職したことないからわからないけれど。C’est la vie.とあなたはいうだろうか。

ときどき、新宿駅の手前でなんだかゆっくりしている埼京線に山手線が追いつくときがある。そういうとき、ぼくはとてもうれしい。うれしいし、なんだかとても意地悪な気もちだ。追いついたぜ、この埼京線野郎どもが!

というか、もしかしたら、ただ単に、ぼくが、主に駅の天井から吊り下がっている発車時刻を告げる電光掲示板をみるのが苦手なだけなのかもしれない。ぼくはあれ、なんというかほとんどよくわからない。じつは、ぼくはものすごくせっかちで、ものごとの3割くらいを認識した時点でなんとなくいろいろわかった気になってしまって結局のところなにひとつわかっていなかった、といったような事態に陥りがちだ。日常的に。というこれも3割くらいしか認識していないのかもしれない。

そんなことはどうでもいい。

「そんなことはどうでもいい」なんて急にいったりして、びっくりした? もしかしたら、あなたは「いままで読んだことはいったいなんだったの? なんだか感じわるくない?」とおもったかもしれない。ぼくだったら間違いなくそうおもう。もしくは修辞的な文章であるという解釈をして、ここから先はどうでもよくないことが書かれているんだな。前ふりっていうやつだな。とおもうかもしれない。でもそういうことではないのだ。ただ単に、そんなことはどうでもいい。ほんとうに、あらゆることすべてが、いま、ぼくは、どうでもいいとおもっている。すべてのセンテンスの終わりに「そんなことはどうでもいい」と付け足したいくらいだ。すべての句点に対して全置換で。ぼくはこれを「二葉亭四迷症候群」と呼んでいるが、そんな命名なんてほんとうにどうでもいい。心の底からどうでもいい。くたばってしまえ。

どうでもよくないことがあったらいいな。

ぼくは近所のスーパーの七夕の短冊にそう書いた。去年もおととしも

嘘だ。それに、そんなことはどうでもいいし、季節外れなことこの上ない。

なにがいいたいのかというと、つまり、なにもかんがえていないのにあらゆることすべてがうまくいくときがあり、あらゆることをかんがえつくしたような気がするにもかかわらず、なにひとつうまくいかないときがあるということだ。

このあいだ、ぼくは恵比寿のリキッドルームにライブを観にいった。

なんとなく埼京線のホームに向かった。すると山手線よりも先に埼京線の車両がやって来た。ぼくはそれに乗った。恵比寿駅で降りた。リキッドルーム。ライブ終了後の大森靖子さんと握手をして「すげえカッコよかったっす!」と直接感想を伝えることができた。その帰りみち。ぼくはまったく同じようになんとなく埼京線のホームに上った。すると山手線よりも先に埼京線がやって来たのである。

まあ、どうでもいいけれど。

さて。

どうでもいいを連発して、なんだか気分がよくなってきたよ。文章に占めるどうでもいい成分の割合もゆっくりと減ってきたし。

なんかどうでもよくないことだってあるよね

こんなこといっているけれど、ほんとはあるっておもってるよ、どうでもよくないことだって。という気もちになってきたよ。たとえば。

ぼくは比喩としての山手線のことをかんがえるのが好きだ。同じところをぐるぐると回っている、都会のメリー・ゴー・ラウンド。きわめてゆるやかなジェットコースター。一方、埼京線というのは大崎−大宮間36.9キロメートルを結ぶ、おそらく埼玉県民にとって東武東上線、西武池袋線と並ぶ重要路線のひとつであろう。すごく遠くまで行けるような気がする。目的地に向かって。

ところで、山手線の一周はどれくらいだろうか? 34.5キロである。

つまり、ぼくがいいたいのは簡単なことだ。

もし、大宮に行きたいのなら、ぼくたちは埼京線に乗ればいい。山手線が好きだからといって、埼京線を憎むのは間違っている。