なんでこういつも大事なときにふつかよいなのだろうか?

わたしは先日、母校の恩師の最終講義を受けてきた。在学中の5年間、はじめから終わりまで、わたしはその先生にとてもお世話になった。だから、なんとしてでも最終講義には出席しなければならない。せめてもの恩返しに、その花道をぜひともこの目で見届けなければならない。定年退職の暁には、無用となる研究室の本をいくらかもらい受けるという、あの若い日のおぼろげな約束も果たさなければならない。そのような固い決意のもと、わたしは当日の朝を迎えた。というか昼だった。ひどい宿酔だった。

前日の夜、わたしはひとりで泥酔してしまった。そうでなければ明くる朝、宿酔などには決してなるまい。これすなわち自然の摂理、因果というものである。わたしはその夜、電子レンジの上に重ねておいてあった、電子レンジの中の回転皿と土鍋のふたを落として割ってしまった。電子レンジの天板の中央におかれていたそれらが、なぜ落下することになったのかよくわからないし、割れるときの音を聞いた覚えもない。わたしはたしかに頻繁に酔っぱらってはいるけれど、きわめて礼儀正しい酔っぱらいの部類である。したがってそのようなことは滅多にないのだけれど、つまりはそれほど酔っぱらっていたということにちがいない。

その夜はフィギュアスケート男子の羽生結弦くんが金メダルをとった。わたしは朝までリアルタイムでオリンピックの中継をみていたから、その歴史的な偉業をとても喜んだ、はずだ。しかしながら、かれの4分30秒もアルコールの霧の中に掻き消えてしまったのだった。

ほんとうに恐ろしいことである。

講義は13時半からということになっていた。わたしが目覚めたのは12時くらいだった。大学までは1時間弱といったところだ。すぐに家を出れば間に合う時間ではある。でもそれはとても無理な相談だった。ほとんど起き上がることもままならない。

わたしは布団にくるまり、傷を負った野生動物のようにじっとして、ただ回復するのを待っていた。しかしすぐに、回復を待っていては最終講義に参加するのは不可能だとの結論に達した。行くならもうこのまま行くしかない。もういいじゃないか。このままねむっていれば。だれにたのまれたわけでもないんだし。何度そうおもったことだろう。なにをいっているのか!お世話になった先生の最終講義なのだぞ!最終講義というのは最終の講義なのだぞ!最終とはここより先はもうないということなのだぞ!

わたしのなかの悪魔と天使が両側からわたしのヒートテックの袖を引っ張り合っていた。ちょっとそれやめてくれないかな。気持ち悪いんだ。吐いちゃうよ。

そのような葛藤、攻防、逡巡、自問自答が30分くらい続いた。そしてわたしはものすごく曖昧な決断をした。

とりあえず家を出よう。
行けるところまで行こう。

わたしは手早く着替え、冷蔵庫の中のウィダーインゼリーをのんでから家を出た。

結論からいえば、わたしは1時間ほど遅刻をして大学に辿り着いた。ちょっと間に合わないかなくらいの時間に家を出たのだが、新宿から乗った小田急線の車内で気分が悪くなり、代々木上原で途中下車してトイレに駆け込んだ。なんのことはない、さっきのウィダーインゼリーのせいだった。ウィダーインゼリー以外にはなにも確認できなかった。わたしはまるで家の冷蔵庫の中のウィダーインゼリーを、自らの身体を容器にして、代々木上原の駅のトイレの便器の中に移動させるという仕事を遂行したかのようだった。そんな仕事があるものか!それではまるで江戸の仇を長崎で討つではないか。それがそのときにわたしがトイレの中でかんがえたことだった。たぶんまだ酔っぱらっていたのだろう。そしておれはいったいなんど同じようなことを繰り返すのだろうとおもった。そして「おれはいったいなんど同じことを繰り返すのだろう」をなんど繰り返すのだろうとおもうのだった。

大学の最寄り駅についたときには2つの選択肢があった。大学までは徒歩20分である。だいぶ遅刻だし、タクシーに乗ったほうが早いにちがいない。でもタクシーに乗ったらまちがいなく吐く自信があった。そんな自信など今後いっさい御免こうむりたいものだが、とにかくタクシーの車内の匂いを想像しただけでだめだった。だから歩くしかなかった。だが最悪なことに道中は前日に降った記録的な大雪のせいで、それはもう大変なことになっていた。30分以上かけて母校にようやく辿り着いた。息が弾んで脇腹まで痛かった。一日中、靴と靴下はびしょびしょだった。

と、まあ、ここまでは前置きのようなものである。幸い、挨拶やらなんやらがあったようで、先生の講義は開始から15分といったところだった。上出来だ。間に合ったとすらいっても過言ではない……。

さて、その日は、ふたりの教授が定年退職するということで、前半と後半にわかれて講義が行われた。前半はわたしの恩師の講義だった。それから休憩を挟んでもうひとりの教授の最終講義というスケジュールだった。講義時間は1時間。そのあと花束贈呈、学長の挨拶ときて、17時半から懇親会の予定だった。

最終講義というものにはじめて参加したわけだけれど、それはふつうの講義とはちがう。わたしと同じようにたくさんの卒業生が集まっているわけで、それは形式的には講義と銘打たれはするものの、過去を振り返り、これまでの教師人生を総括するような、記念的な内容に自ずとなるものなのだな、というのが前半の講義を受けたわたしの印象であった。だが、後半の教授の講義はちがった。ちがうというかきわめてふつうだった。ほぼ完全に通常の講義の延長だった。しかも30分オーバーだった。つまりそれは結果的にいつもの90分の講義だったということを意味する。

わたしはこうおもわざるを得なかった。かれはまだ教師をやめたくないのだ、と。

***

浅田真央が滑るたびにわたしたちが緊張してしまうのだとすれば、それは浅田真央の緊張が伝染しているためであり、その緊張は本人になんらかの形でフィードバックされるだろうとおもわれる。あるいはわたしたちの緊張が、浅田真央に伝染し、その緊張がわたしたちにフィードバックされているのかもしれない。どちらが先か、と問うことに、あまり意味はないだろう。ただわたしたちはそのようなサイクルのなかにいて、どちらにせよ、緊張はもはや高まる一方だからだ。

そのような悪循環ともいえる環境下でよい結果を出すというのは、だれにとってもかなり難しいことではないだろうかとおもう。そしてそこから逃げ出したいとおもうのは、どうかんがえてもわたしたちのほうではない。わたしたちはいつでもほとんど無責任に、他人に対して期待を抱くことができる。そのような期待にこたえることによってこそ、ひとは国民的な「なにか」になり得るのだろうけれど、一方で、そのような過度な期待はたくさんの才能ある人間をスポイルしてもきた。期待や憧れや羨望というものの裏側に、どのような感情が拭い難く貼りついているのかについては、あまり説明をする必要はないだろう。

森喜朗というひとが「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」といったそうだ。そしておそらくこれは失言としてメディアに取り上げられているとおもわれる。しかしそうだろうか? これはある一定程度、率直な言明なのではないだろうか? それこそが失言なのかもしれないが。

わたしたちは「なんでこのひとは、こういうときにこんなことをいうのだろう。ちょっと頭がおかしいのではないだろうか」とおもう。でもそれはわたしたちが浅田真央に移入している証拠であり、森喜朗はおそらくそうでもないからだということにすぎない。なににたいしても移入していないからこそ、あのような発言が多々みられるということなのかもしれない。ひとことでいえば、空気が読めないというやつだ。きっと体育館のようにがらんどうで、器の大きな人物なのであろう。

わたしのいっていることは精神分析的にすぎるかもしれない。ただ、ときには現れをただそのままの形で、そのひとの思いだと捉えるべきときもあるような気がするのだ。つまり、かの女が失敗したのは、失敗したかったからだ。そのようにかんがえてみること。そしてそれはなぜなのか?

「あの子、大事なときには必ず転ぶ」という発言は、でも、だからこそ、浅田真央にとっては、救いのことばとして受け止められるのではないかとわたしは想像する。まさにそうおもわれたいために、浅田真央は演技を失敗してしまったのかもしれない。このサイクルから抜け出すために。

もし、みんなが「あの子は大事なときには必ず転ぶ」くらいにおもってくれていたら、どんなに浅田真央は楽だったろうかとおもう。いやちがうな。みんながどうおもうかは問題ではないのかもしれない。問題は、かの女自身がじぶんをそのような存在としてみることを、決して許さないということなのかもしれない。ひとは、そのような逃げ場のなさのなかで、実力を発揮できるものなのだろうか?

きのうのショートプログラムで、これまでみたことのないようなミスをしたことで、きょうのかの女はじぶんのことを「そういうこともある」というふうに、おもえてくれていたらよいのだけれど。