UFO

わたしはこれまでに少なくともUFOを3回みた。わたしはほぼ唯物論者だといってよいだろうとおもうので、よほどの経験でないかぎり「あれはUFOだったのだ」などと他人に向かって吹聴したりなどしない。だが、これまでにそうとしかいいようがない経験が三度あったのである。順を追って話そう。などと書くと「矢追純一」をただちに想起するくらいにオカルト好きなひとたちへ向けて。

1度目は幼稚園の年長のときのことだ。これだけは正確な日付がわかっている。それは1982年の7月19日である。

その朝、目覚めると両親が家にいなかった。それはおそらく物心がついてからはじめての経験だった。わたしはそのとき6歳で、2歳下の妹といっしょにわんわん泣いたことを覚えている。早朝、わたしたちが泣いていると、その泣き声がとどいたのか、というよりもおそらく話が通っていたのだとおもうけれど、当時となりに住んでいた叔母が玄関にあらわれて、なぜわたしたちの両親が家にいないのかを説明してくれた。ふたりは病院に行ったのだということ。心配することはなにもないのだということ。そしてわたしと妹に、あたらしい兄弟ができるのだということ。

その日は、わたしは、幼稚園のお泊まり会の日だった。わたしがはじめてUFOをみたのは、その日の夜のことだった。

もう31年も前の話だ。

夜、狭い園庭で、みんなで夜空を見上げていた場面をおもいだす。

そのときにみたUFOは、なんだかそれほど珍しくなく、夏の夜の風物詩とでもいった印象だった。毎年、この季節になるとかならずみられるものだとでもいうように。加藤先生は「ああ、UFOだねえ」みたいな感じだったとおもう。わたしはそのときにみたUFOのことをおもいだすと、その記憶にぴったりと「八王子の北島三郎の豪邸」という単語がくっついているのだが、なぜなのかはどうしてもおもいだすことができない。わたしは「へえ」とおもっていた。そういうものが存在しているのだなあ、と。

それは1機の横長の発光体で、いくつかの窓があるようにみえた。遠くで、ゆっくりと水平移動していた。ものすごく高いところまで凧を飛ばしたときそっくりな動きだった。みんなで目撃したので、そのときにいっしょにUFOをみた人間が20人くらいはいるはずだ。

その日の夜のことは、そのあとの人生で、ふしぎなほど何度も夢にみたものだ。そのときの夜の空気の色。布団を敷いてみんなでねむったこと。海苔巻きの具みたいになって、布団にくるまってはしゃいだこと。好きな女の子のとなりではじめてねむったこと。

つぎにUFOをみたのは、小学校三年か四年のときだった。だから1984年か1985年だ。友だちが家に遊びに来ていて、夕方、かれが帰るときに、ちょっと家の外に出たときのことだった。なかなか説明が難しいのだけれど、そのころ、わたしはもうブルーバックスのノストラダムスの大予言とか、タイムマシンの話とかを読んでいたから、ほんとうにおどろいたことを覚えている。UFOとしかいいようのない発光体が3機から5機ほど、ゆっくり動いては消えたり、また現れたりということを繰り返していた。わたしの育った街には米軍の基地があり、飛行機をみる機会はありふれていた。だからそれは飛行機ではない。わたしはそのとき、このことを忘れないようにしようとおもって、長年、たすきを渡すようにしてこの記憶をしっかりと保ってきたので、このときにみたものは、まちがいなく、大人になったいまでもまったく説明がつかないようなものだったと断言できる。もしそれがUFOじゃなかったのだとしても、それがなんなのか、ほんとによくわからない。

3度目は中二か中三のときだった。もしかしたら高一だったかもしれない。友だち4人でUFOをみた。これはちょっとすごいんじゃないか、ということになって、わたしたちがおもいついたのは「韮沢さんに連絡をしよう!」ということだった。

そのころ、テレ朝の深夜の「プレステージ」という番組でよくUFO特集をやっていて、わたしは毎回ビデオに録画をしていたから、いわばUFO擁護派の「たま出版」編集長の韮沢さんというひとが近くに住んでいるということを知っていた。なんだかふしぎなことに電話帳をしらべるとすぐに同姓同名のそれらしき番号がみつかったのだった。わたしたちは思い切って電話をかけた。「たったいまUFOをみたんです!」と。

いまとなってはおどろくべきことだが、そのような中学生だか高校生だかの電話に、夜遅くなのにもかかわらず、韮沢さんはちゃんと対応してくれたのだった。韮沢さんはとなり街のすぐ近い場所に住んでいた。かれは当時はまだ珍しかったビデオカメラを持ってわたしたちのところへやってきた。わたしたちがUFOがみえた方向を指し示すと、その方向へビデオカメラを向けた。だがビデオカメラは動かなかった。「あれ!動かない!」と韮沢さんはいった。「これはなんとか現象だ!」といった。なに現象だといったのかは聞き取ることができなかった。はっきりいって、大槻教授が怒るのも無理はないな、とわたしたちはおもったものだ。

いまおもえば、わたしたちがそのときUFOだとおもったものの一部は、気象観測用のバルーンだった可能性がある。当時もすぐにそうかんがえた。だがそれをみつめているあいだに、信じられないようなものをわたしたちはみんなでみたのだった。これだってもう20年も前のことなのだからなんだか疑わしいような気もするのだけれど、ほんとうに目にみえているものが信じられなかった。意志を持った光が自由自在に夜空を駆けめぐっている、とでもいったような具合であった。天空へ向かって流れるいくつもの流星のような。わたしたちのこのUFO騒動はどこかの新聞の地方版に載った。むろん、このすべてがぼくの妄想の可能性はあるのだけれど。

わたしはこんなことを書きつつ、なんだかじぶんがいままでに経験してきたことが信じられないような気持ちでいっぱいなのだけれど、先日、ベランダからひさしぶりにUFOらしきものをみた。それはオリオン座の三連星にそっくりの配置で、しばらくのあいだ富士山の脇を飛んでいた。何枚も写真に撮ったはずなのに、いま、デジカメをみてもそれらしきものがみつけられない。これはもしかしたら、あのときの、聞き取ることができなかった「なんとか現象」なのではないだろうか?