読書

その暗闇の一角には、夜になると光が射した。夜にならなければ、わからないことだった、とわたしはおもう。わたしたちは、ふだん、ほぼあらゆるすべてのことを見過ごしているのだ。そうしなければ生きていけないからだ。

でも、そこに光が、夜になると射しこむことに気づいた。人間が。いた。

彼の名前は「読書」だ。

もう、この際なのだから、いきなり名づけてしまってもよいとおもうし、彼が、ある種のサブカル需要をその後20年にわたって満たすくらいの死に方をしたことは事実だった。

でもわたしそれを認めない。

だからこそこういった文章を飽くことなく書きつづっているのだとおもう。

おそらく、彼、「読書」以外にはいなかったろう。それくらいのことは断言してもよいし、わたし以外にそのことを断言するものも、この先いないだろう。

クールジャパン。

彼が一身・一心に体現していたのは、いまとなってわかることではあるのだが、そのひとことだった。

クールジャパン。

「こんなに難しいことはウィトゲンシュタインにだってわかるまい!」というCDで、もしかしたらだれかがデビューするべきだったのかもしれない。

月明かりよりはいくらか明るい、といったくらいの淡い街灯の光。

わたしは知っています。「淡い」とか「街灯の光」とかね、人類がどうしようもなく好きな、どうしてなのかわかんないけれど好きな、そういうフレーズがあるんですよ。これはもうしかたがない。

だからこそ、彼はこの場所を選んだのだ、とあるときわたしは気づいた。

それは本を読むためだった。

 

 

という文章がEvernoteに残されているのを、わたしはいま発見した。

ただの一文字も記憶にない(昨晩、わたしはひとりで2本のワインを空けていた)。でもこれは、あのホームレスのおじさんについての話なのだとおもう。