「Sightseer」に寄せて

大学時代からの友人が、いつのまにこんなに写真がうまくなったのだろうか、なんかの雑誌で賞をもらって「御苗場」という日本最大級の参加型写真展に出店する権利を得て屋台でケバブを売ることになったので、トルコに行って現地の料理を食べてきたぼくは先週そのノウハウを彼に教えたのだった。というのは変換ミスからの長い長い口から出まかせで、ぼくはトルコに行ったことがない。2つの意味で。そんなことはどうでもいいのだが、友人が写真展に写真を出展することになって、「Sightseer」というのがそのタイトルなのだが、展示についてのコンセプトボードやらDMやら名刺やらのデザインのお手伝いをしました。そして推薦文(のようなもの)というか感想文(のようなもの)をトリスウイスキーをストレートでがぶ飲みしながら書いた。勝手に。そしてじぶんのブログに載せる。勝手に。

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「タイは、若いうちに行け。」というキャッチコピーがあった。1990年代なかばのことだ。たぶん「鉄は熱いうちに打て」のもじりなのだろう(いま思いついたけど)。いしだ壱成が出演していたあれは、調べてみると「タイ国際航空」のCMだったみたいだ。96年から97年。そのCMがながれるたびに「うるせえよ」とぼくは思った。「行け」というのは命令だ。「行かねえよ」とぼくは思った。

大学の5年間でたったの2日間しかバイトをしなかったぼくには、その当時、むろん、飛行機に乗るようなお金はなかった。パスポートを申請するお金すらなかった。友だちや同級生の女の子にごはんをおごってもらったり、飲み会のお金を多く出してもらったりしていた。親に定期代をもらったら、それをギャンブルで増やして生活していたのだった。まったく最低な話だ。

でも、ほんとうは「若いうちにタイに行ったほうがいいのかな」と思っていた。「きっと行くべきなんだろう」と。だまされやすい純朴な若者だったのだ。いまかんがえたらほんと余計なお世話。そんなのひとの勝手だし、タイのひとにもなんとなくちょっと失礼だし。

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あれから20年がたった。

2016年、ぼくはまだタイに行かない。きっとこの先も行かない可能性が高い。もうどこにも行かないかもしれない。ぼくは、一生、このような場所で、食パンとうどんで暮らしていくと思う。でも結局のところ、ぼくはこのような人生を求めていたのだし、なるべくしてこうなったのだ。後悔はない。乾いた涙の跡くらいにしか。

でも、それでも、たとえば、このような写真を見るときにだけ、ぼくの気もちはちょっとだけ揺らぐ。完璧に塗り固めたはずの壁に、ひとすじの光がまだしつこく差し込んでくるのを発見したみたいに。20年来の友人が撮った写真だ。ぼくの人生にだってありえたかもしれない光景が、そこにはどうしたってまぶしく広がっている。

だれかが撮った写真とは、だれもの可能世界そのものだ。その景色をぼくが見て、その瞬間にシャッターを押したのだったとしても、なんら不思議なことではない。でもそうはならなかった。そうありえたかもしれないにもかかわらず。他ならない、彼こそが、その時間にその場所で、この写真を撮ったのだ。だからどのような写真であれ、それは時間的・空間的に唯一無二のもので、その特権的な一回性の記憶を宿している。ロラン・バルトが簡潔にその本質を言い当てたように「それは・かつて・あった」。被写体がそうであるのもさることながら、撮影者もまた「かつて・そこに・いた」わけだ。

おそらく写真というものは、すべての「いま」が二度と戻ることのない瞬間の持続である、というごく当たりまえの一般則をいつでも思い出させ、くり返し伝えるメディウムだ。ときどき時を止めないと、われわれは時がながれていることに気づけない。潜在的にはすべての瞬間がシャッターチャンスなのであり、「日々私たちが過ごしている日常は、実は奇跡の連続なのかもしれない」(©『日常』)ということを教えてくれる。しかし、ぼくたちは、そういうふうには生きられない。山手線で同じ車両に乗り合わせた乗客の顔をすべて覚えることができないのと同じように。山手線でタイに旅することが不可能なように。

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その写真にはいったいなにが写っているだろうか。それはいつ、どこで、だれが、だれを、なんのために、どのような意図で写したものなのか。それは撮った本人にしかわからないかもしれないし、撮った本人にすらわからないかもしれない。だから他人であるわれわれには、もっとなにもわからないのだろうか。そうじゃない、とあらゆる写真が告げていることをぼくたちは知っている。ひとはまったくの他人とは記憶を共有することはできないが、記憶についての記憶、言わばメタ記憶ならば共有できる。「それは・かつて・あった」。そのことだけは確かなことだ。ただ、そこに「わたし」だけがいない。写真の前ではだれもが(被写体でさえも)その不在の回路を通じて写真の外に追い出されており、いまだじぶんが写真の中にだけいる存在なのではないことを知る。つまりは生きているのだということを。ぼくたちが写真を見るのは、だからだとしか言いようがない。ひとは死んだら写真になる。

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「Sightseer」とは、まるでやさしい命令形のようだ。すなわち「観光客であれ」と。

台湾と韓国、そしてタイにベトナム。この写真展のためにセレクトされた4枚の写真を見つめていると、いまでもあのころとほとんど変わらない純朴さに加えて、致命的な愚かさを鎧のようにまとい、そちらの方こそが実体となって中身が空っぽの中年となったぼくですら、「やっぱりタイに行ったほうがいいのかな」と思う。

これらの写真は、ぼくを旅へと誘っている。穴蔵の中から引きずり出そうとしている。そこに日付は記されていない。それは、だれかにとっての未来の光景かもしれない。もしかしたら、まだ遅くはないとでもいうのだろうか?

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御苗場vol.18までにやるいくつかのこと