同じ太陽を

遠くから電話がかかってくる。
2週間ほど、ひとりでぶらりとヨーロッパを旅行していたNくんからの電話。スペインからだ。へえ。スペインかあ。とぼくは思う。こないだはたしかローマで野宿したっていってたっけ。ローマから掲示板に書きこみがあったのだ。あれからスペインに行ったんだ。とぼくは漠然と思う。イタリアとスペインの位置関係がぜんぜんわからないのだ。そして携帯電話のディスプレイに表示された「通知不可能」の文字や、まるでぼくが「もしもし」といったことによって電話が切れてしまっているみたいなタイミングで何度出てもすぐに切れてしまうこと、それでも繰り返しかかってくることの理由が一挙に判明した。なるほど。スペインか。
ぼくはそのときスーパーマーケットで牛乳とバナナを買って外に出たところだった。ジャワティは売り切れで、がっかりだった。一瞬、店が取扱をやめたのかと思って、ぼくは焦った。焦ったのは実にひさしぶりのことだった。またしても。マイドリンクを。失う。のか?と思って、一瞬、世界を呪いたくなったけれど、よく見るとまだ棚には値札が残っていたので、きっと売り切れてるだけだろう、という真っ当な結論に落ち着いたのだった。焦りすぎだ。この早とちりめ。でも正直ジャワティがそんなに売れてるなんて驚きだった。まさか売り切れるなんてことはないだろうと高を括っていたのだ。
電話はたしかにぷつぷつと回線が途切れるようで、なおかつ声は不鮮明。それは電波の悪さではなく、物理的な遠さを思わせた。でもスペインからどうやったらぼくのこの携帯電話に電話をかけられるのか、ぼくにはさっぱりわからない。というか、どうやったらスペインに行けるんだろうな。スペインってどこだっけ?イベリア半島だっけ?イベリア半島ってどこだっけ?とぼくは思う。そして耳を澄ませる。
「これから帰るところなんだけど、いま、そっちはもう日は暮れちゃった?」とNくんはいう。そういわれて、ぼくは咄嗟に答えることができなくて困った。「日が暮れる」ということばの意味が急にわからなくなったのだ。日が暮れるってなんだっけ。とぼくは頭の中で考える。空を見上げて。なんだかバカみたいだけれど。日が暮れる。それは太陽が沈んで夜になることだ。別になにか他のことを意味する慣用句ではない。えーと。いまはまだ夜じゃない。でも昼でもないよな。これ、なんていうんだっけ……夕方か。夕方は、日が暮れている、の範囲内なのだろうか?
夕方。
でもそのことばが電話の向こうのスペインに通じることばなのかどうか、どうしても確信が持てなくなってしまって、ぼくは口ごもる。果たして夕方というものは日が暮れているのか、暮れていないのか。あるいは暮れかけている、かな。えーと。
「えーと。日は暮れてないよ。まだちょっと明るい。けど……もう少しで日が暮れるところ、かな」とぼくは答える。「でもどうして?」
「太陽は出てる?」
「出てない。こっちは曇ってるの。でもどうして?」
Nくんは、スペインと東京で、同じ時間に太陽を見たかったみたいだった。同じ太陽を。それぞれの地点から。それで電話をかけてきてくれたのだ。でも日本は、というか東京はあいにくの曇り空で、ぼくのいるところからは太陽を見ることができなかった。残念ながら。東京が曇っていることが、なんだかぼくの責任みたいに思えてきて、せっかくスペインから電話をかけてきてくれたのに曇っててごめん、という気分にぼくはなる。もしぼくが女の子で、Nくんの恋人だったりなんかしたら。こんなにがっかりすることもまたとないだろうとぼくは思う。
その時、スペインは何時だったのだろう。調べればすぐにわかると思うけど、調べようとは思わない。ただ、きっとスペインはよく晴れていたんだろうな。とぼくは勝手に想像する。気持ちのいい朝だったのだろう、と。それともお昼かな。時差はどれくらいなのかな。
そしてスペインという国はその太陽のことと共にこれからは記憶されるに違いない。ぼくの中で。そこからは、あのときぼくからは見えなかった太陽を見ることができ、そこはここからはとても遠い場所で、でも太陽はどこからでも見ることができるんだなあ。という素朴な事実に対する感慨とともに。
ぼくは電話を切ってから、雲の向こう側のどこに太陽があるのかを探した。その向こうに、確実に太陽は存在しているはずだった。でもどこにあるのか見当もつかなかった。そしてぼくは環七を渡った。きっとぼくは一生スペインに行くことはできないだろう。
だからぼくの想像するスペインには、Nくんと電話と太陽しか存在しない。