麦茶を飲んじゃ駄目

チェアマンちの台所で目覚める。起きたときには部屋には誰もいなかった。なんとなく、ふたりが出かけていった音が聞こえていたような記憶がある。どこに行くのかな、とおもった覚えがある。パンでも買いに行くのかな。パソコンの上に書き置きがあって、ふたりはおしばいを観に行くとのことだった。いったん起きはしたもののぜんぜん駄目なので、麦茶をいただいてからもう一度寝て、3時頃に起きたらもっと駄目だった。そりゃないぜ、とおもう。そりゃないよ、かな。でもきりがないのでとりあえず外へ出ることを決意し、コートを着るところまでは何度もいくのだが、一度外に出て鍵をポストに入れてしまったらもう部屋に入れずトイレに行けなくなるのでなかなか踏ん切りが付かない。といっても起きてからは一度も吐いてなくて、でもこの吐き気を抱えたまま外に出ていっていいのか、という気持ちがあるのだ。コートを着たり脱いだりする。これを隠しカメラで撮影されていたらなにをやってるのかとおもわれるだろうな、と考えたりする。すごく無意味で、きりがないので思い切って外に出る。が、やっぱりぜんぜん駄目で一歩ごとに吐きそうだった。前を歩いていた女の子があまりにも歩くスピードが遅いので、いま吐いたらかかっちゃうかもしれないからもっと遅く歩こう、と考えてゆっくり歩くことにしたりした。でもそんなのかかっちゃうわけない。いくらなんでもそんなに近くはない。というか吐くときにはきっと立ち止まるはずなのだ。酔っぱらいの考えることっておかしいですね。
やっとのことでセブンイレブンにたどり着き飲み物を物色するが気に入ったものがないので何も買わずに出て、今度はローソンに入ってクエン酸の入ったスポーツドリンクを買う。どういうわけか「クエン酸、クエン酸」と決めてかかっていて、それ以外のものを買うなんてことは断じて許されない雰囲気だった。いまにも吐きそうなのに飲み物をちゃんと選んでいるところがおかしいですね(結果的には全部吐いたのでなにを買っても同じだった、ということも含めてなんだかおかしい)。
電車に乗る。電車に乗ったらやばそうな感じだったけど、乗ったら案の定やばかった。急行に乗るか、座れる各停に乗るか迷った末に座れる方を選ぶ。そして一駅ごとに、降りてトイレに行くか、もう一駅行けるのか、の判定をし、結局、下北沢で降りた。限界だった。ぼくは途中で降りて駅のトイレにぎりぎりで駆け込む、というのは何度もあるけれど、電車の中ではたぶん一度も吐いたことがなくて、自分は本当に恥ずかしがり屋だなあとおもう。だっていまにも吐きそうなのに普通の顔をしてトイレに行くから。
トイレは新宿寄りのホームのいちばん端っこにあって、ぼくが降りたのは反対側のかなり遠いところで、そういうときホームは無限に長く延びてしまう。砂漠の蜃気楼みたいに歩いても歩いてもたどり着きそうにないのだ。砂漠なんか行ったことないけど。そしてなんだか棺桶の上を歩いているみたいな気がしてきた。灰色の長く延びた棺桶。
でもちゃんとたどり着いて、トイレに入って即リバース。reverse。そうなのだ。麦茶を飲んじゃ駄目なのだった。まずは「903」が出てきて、そのあと麦茶が出てきた。どうして混ざってないのか不思議だ。汚い話でごめんなさいね、ほんと。あの麦茶吐くときの感じって最悪だ。お茶系は総じて駄目だとおもう。
新宿の手前でグリコから電話がかかってくる。まるで神の助けみたいなタイミングで。新宿で待ち合わせ、いっしょに帰った。それからその日の深夜まで、宿酔いが続いたのだった。