ヒッチハイクみたいに(京都一日目)

昼ごろ起き、トーストを食べ、『教養としての経済学』を読んだ。夕方5時頃うつらうつらしていたらSさんから電話があり、これから車で京都に帰るというので、いっしょに連れて行ってもらうことにする。なぜか寝起きなのに即決。寝起きだからかな。というわけで車で迎えに来てもらい、いざ京都へ。ヒッチハイクみたいに。
前半は順調だった。500キロのうちの250キロくらいは、極めて予定通りに進んでいたんだったと思う。途中のサービスエリアで生姜焼き定食を食べたり、きしめんを食べたりして、旅は快適なことこの上なかった。予定通りに行けば0時半くらいには京都のSさんの家に着くはずだった。
問題は長野を超えたあたりからだった。雪だ。関西方面は大荒れだ、という情報を一応頭に入れてはいたけれど、まさかこんなにひどいとは思わなかった。岐阜のあたりで高速道路が通行止めになり、いったん一般道に降りることになった。そこから通行止めが解除されるICまでは30分くらいの距離のはずだった。ぼくたちはそこまで行ってすぐにでも高速道路に復帰するつもりだったのだ。でもそのインターを降りてから、30分くらい1ミリも動くことができなかった。あまりにも到着予定時刻を逸脱しているので、カーナビに怒られるんじゃないかと心配になるほどだった。そんなにひどい渋滞を経験したのはたぶん生まれてはじめてだった。まったく動かないのだ。もう駄目かと思った。このまま車ごと雪に埋もれて死ぬのだと思った。と書きたいくらい猛吹雪の中で車は微動だにしなかった。みるみるうちに車に積もっていく雪を、ぶるぶると身体を震わして地面に落としたい気分だった。水を飲んだあとひげに付いた水滴を吹き飛ばす猫みたいに。
やっとのことで再び高速に乗っても、断続的にのろのろ運転は続いた。除雪車が動いているので、どうしても渋滞してしまうわけだ。それでもSさんは忍耐強く運転し続けた。ぼくも助手席で一瞬たりとも眠ったりしなかった。それがなにかの役に立つのかどうかはわからなかったけれど。チェーンをつけてなかったり、スタッドレスを履いてなかったりする車は、その横を通り抜けるのが恐いくらいにつるつると雪に足を取られていた。
京都に入ったあたりでようやく雪が止んだ。200キロ近くに渡って雪を降らす雲に被われていた土地をやっと脱出したのだ、という爽快感があった。到着予想時刻は出発したときのものからすでに4時間以上遅れていた。それはSさんが実家を出発してから、実に12時間後を示していた。京都に入った瞬間はやんでいた雪もすぐにまた降り始めた。京都だけは雪じゃないだろうということだけを信じてそれまでやって来たぼくたちの希望を打ち砕くように。というほど雪は降ってはいなかったけれど。とりあえずガソリンスタンドでガソリンを入れ、Sさんの部屋に到着。Sさんの荷物の中には大量の「ペヤング」があった。実家から持ってきたのだという。関西では売ってないのだそうだ。ふたりともすぐには眠れず、ビールを飲んで明るくなってから眠った。