かわりに肉球を

最近は夜二時間くらい寝て、早朝というか深夜というか3時半とか4時とかに起きる生活。それで昼すぎから夕方までまた眠るというリズム。なんだこのリズム。なので今日もいろいろ出かけるはずだったがどこにも行けず。リズムのせいにするこのスタンス。オノ・ヨーコ展とか草間彌生展とか、キル・ビル2とかロスト・イン・トランスレーションとかCASSHERNとか。ほかにも考えうるさまざまな選択肢を蹴り、眠る。いいじゃん別に。そして起きてるときはほぼずっとテクノを聴いている。周期的にテクノを聴く時期がやってくるな。これは現実逃避っぽい。長嶋有さんの『ジャージの二人』再読。この人に芥川賞をあげたのは大正解だったのになと思う。のにな。というのはその後の芥川賞受賞者の影にすっぽり隠れてしまった感があるからだが、というかすっぽり隠れているのだが、むしろそれはいいことなのかもしれないなとも。なんかこう、漫画みたいに何回も読みたくなる小説。あんまりない。というか今までにあったかな。
ピピッっという電子音が響き、部屋のドアの外に猫がやって来たことを告げる。この家では電話の親機がそのような場所にあり、猫がそこにぴょんとのぼると音が鳴り、それが部屋に入りたいことの合図となる。ときには留守電のボタンを踏み、「メッセージは、ありません」というきわめてパフォーマティヴなメッセージを発生させる猫のグリは、ドアを開けた瞬間からじゃれてきて、あぐらをかいて座るぼくの膝(というか腿)の上で、今度は電子音ではなく喉を鳴らし続け、回転数をゆっくり落とすようにしてやがて静かになり、いま、まるくなって眠っている。ということは寒いわけだ、この朝は。ぼくは、自分に対して猫がごろごろいってくれる時が来るなんて、小さいころからあきらめていたこどもだったことを思い出す。それにしても猫はあったかい。トイレに行きたいけど行けない。かわりに肉球を触らせてもらう。大学のころ、ベンチに座るぼくに座る猫のせいで、講義をさぼったことを思い出す。それはさぼりたかっただけだろ。眠っているところを起こすのはなんだか許されないことのような気がしてしまう。猫であれ、人であれ。