火。火ですよ火。

大学を卒業してからこっち、波間にたゆたう板きれのごとく、ことの成り行きに身をまかせ放題、運命に身を委ね放題、120分2980円、焼肉+しゃぶしゃぶ、よかったら寿司もあるよー。アイスもねー。+1500円で飲み放題ー。なんつって、こりゃいいや、うん、すごい楽。だってお会計のことを気にしなくていいのだもの。なんてのんびり、自分は、悠長に、リラクシンに、南国風に、ハワイアンに、バイキングにかまえていた結果、どういったわけか、恋人、交際相手、ソウルメイト、現代風にいえばカノジョ?まあ名称はなんでもいいや、の、あろうことか実家に転がり込むことと相なり、なし崩し的に居座った挙げ句、合い鍵を借り受けつつ、何喰わぬ顔をして、だが内心は、ああ。こんなことで自分はいいのであろうか。否。いいわけがない。どこをどう考えても非常識極まりないことであるよなあ。うん。この恥知らず。うんこ。穀潰し。ニート。って、その上、洗濯までしてもらって。このど阿呆。こんこんちき。いまに罰が当たるよ。永らく白米を食えぬ日々が続くよ。この痴れ者め。と自らを戒めるかのごとき予言のことばを日々、自らの内奥に向けて発しつつ、往来ですれ違う人たちにいわれのない苛立ちの視線を投げかけつつ、胃がきりきり痛むのを胃のあたりに感じつつ、って当たり前じゃん、はは。とにかく、いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。いったいどうしたものか。と三度唱えるかのごとく逡巡しておったの。そうなの。人生という名の碁盤目上、次の一手をおよそどこに打ったらいいものか、さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。さっぱりわからないなあ。だって自分、碁がわからぬのだもの。白と黒が点滅して。目がちかちかして。って、あんなに小さいころから父親に手ほどきを受けたというのになあ。こんなことなら、もっと真面目に碁を打っておくべきだった。あかんかった。わたしは。自分は。小生は。などと反問、煩悶しつつ、何年だ、おい、4年?5年?とにかくそんくらい、の月日をば、何食わぬ顔をして、というところに戻るけれども、実のところ何食わぬ顔をしてではなかったのだ、ということを世間に向けて自分は暗にいいたい、表明したい、弁解したいのだけれども、暮らしておったわけです。ええ。彼女の実家でね。のうのうとね。黒猫といっしょにね。はは。だがそこにはもちろん、時間の制限というものが設けられてあるのである。いつまでも食べ放題なわけには、これ、いかないのである。
つまり自分、このたび、この秋、引っ越しをいたした。転がり込み、を除けば、生まれてはじめての引っ越し。お引っ越し。転居。ってても、もとより自分には荷物がない。なぜなら自分は、漂流者よろしく、彼女の実家に身ィひとつで転がり込んだも同然なのであって、この4、5年で買い集めたものより他に荷物はないのである。しかもこの4、5年のうちにシャーツを何枚か、それからCDを何十枚か、そして本を、何冊だろう、500冊ほどかなあ、いや、もっとあるかなあ、以外には、なにひとつ、これ、購入いたさなかったのであって、なんたらシンプルライフであることであろうか。フィギュアとか、一個も買ってないんだぜ。そう考えると自分のこの5年という歳月はいったいなんだったのであろうか。なにか意味があったのであろうか。夢、幻のごとき存在なのではないだろうか。という懐疑の念がにわかに浮上し、頭のあたりに、黒雲のようにもたげざるを得ないのであって、自分は、ほんたうに、自分はほんたうに……たしかに生きてきたのであろうか、と。生きているのかしらん、と。
うん。生きてたよ。なんとか。って、そんなことはどうでもいいのであって火。火ですよ火。火を使えるのです。わたくし。四六時中。ガスレンジの火。ほのお。ほむら。これがどれだけ画期的の生活であることか、もしかしたらあなたには、君には、にわかには理解できないかもしれない。火ィなんてそこらにいくらでもあるやないけ。われ。どついたろか。このガキ。なんて。それもいたしかたのないことであろう。なぜなら、およそ人間というものは、その発明発見以来、つねに火を使い詰めで生活してきたからである。肉を焼く。野菜を炒める。米を炊く。味噌汁を温める。追い炊き。などして。そう、だが、わたしは極めて限定的な、局所的の生活を、これ、長年強いられてきたのであって、この5年というもの、ほとんど台所を失ったまま生きてきたのであった。つまり火。火を容易に使わなかったわけ。しかもこの5年のうちに喫煙の習慣をもなくしたわたしのポケットには、もはやライターの入る余地すら残されてはいなかった。わたしは人生からついに炎を追放したのである。
人間が人間であることの証明。他の動物たちと一線を画す部分。それは、まず第一に言語、ことばの体系であると思う。だがたとえば長年猫と暮らしていると、どことなく猫とのあいだに言語的な交流が生まれてくるものであることをわたしは知っている。ああ、腹が減ったのだね。おお、部屋の外に、なんとなく出たいのだな。やや、窓の外に猫がやってきたのだな。ほほう、天袋に登りたいのかきみは。へへ、貴君はトイレに行きたいのであるか。などと、その鳴き声でどことなく理解できるものである。だがついに手紙のやりとり、メール交換、といったことまでには発展しない。つまり文字ですね、文字。これが他の動物にはないのだな。いやだがしかし、足跡、というもの、あるいは匂いの痕跡、というものがあるのであって、これはもしかしたら人間でいえば文字にあたるものなのではないだろうか、と思わないでもない。つまりことばを持ってるのはどうも人間だけじゃないかもしれぬのである。そこで火。あらゆる手を講じて火を発生させ、これを自在に操ることのできる動物は、これ、皆無なのであって、これこそ正に人間の証明。ってんで、つまり自分はこの5年ほどは人間ではなかったのである。そんなわけで、わたくし、ぼうっとしていて指を包丁で切りました。人間の痛。