『花とアリス』

岩井俊二『花とアリス』を観た。DVDで。二回。DVDで映画を観るようになってから、二回観るようになったのはなんでだ。巻き戻さなくていいし楽だからか?もしかしたらほんとにそうなのか?
というわけで「雑誌のモデルのオーディションにおいて、紙コップとガムテープを使って即席のトゥ・シューズを作り、床から5センチくらい浮き上がってバレエを踊るために、彼女はいかなる物語を語らなければならなかったか?」というタイトルで論文調でいってみようかと思ったけどそれは止めて簡単に。あくまでもメモとして。
ひとことでいうと、この映画は、かつて「花」を救った「アリス」が、「花」の嘘に巻き込まれることによって自分も嘘をつかざるを得なくなり、そのような生活を通して結果的に救われる、という話であるように思う。ここでいう「救い」とは、それほど大それたものではない。具体的にいえば、それは、街で芸能プロダクションにスカウトされたものの、それまでは芸能活動に対して消極的だった「アリス」が、オーディション会場で得意なバレエを踊って見せ、そのことによってかよらずか、みごと合格し、ティーン雑誌の表紙を飾ることになる。というほどのことである。ほんのちょっとだけ前に出ること。がこの映画では描かれており、それは現実に根ざした物語(両親の離婚問題)を生きる存在であった「アリス」が、「先輩」との思い出を捏造するにあたって、「現実に根ざした物語」を脱臼させ、虚構の物語として語り直す、という行為に集約されているだろう。虚構の物語を提供する者=雑誌の表紙のモデルとしての「アリス」は、虚構の側へ一歩前へ出ること、紙コップとガムテープを使って作ったトゥ・シューズで床から5センチくらい浮き上がることによって、相対的に「花」を虚構の世界から一歩遠ざける。それはかつて家の中に閉じこもりがちだった「花」を、「アリス」が部屋の外へと救い出したことの反復である。したがって「花」はもう作り話をする必要がなくなり、あれほど練習した落語を誰にも聞かせることなく文化祭は終了する。それは捏造された記憶に基づいた恋愛から、とりあえずは現実に根ざした記憶に基づいた恋愛への移行を「花」にもたらすだろう。というわけでこの映画は、かつて「花」を救った「アリス」が、「花」の嘘に巻き込まれることによって自分も嘘をつかざるを得なくなり、そのような生活を通して結果的に救われ、そのことを通じて「花」を救うという、美しい友情の物語である。