ずうっと先の方に戦争が

電車では座らないことにしています。座れるかな。座れないかな。とか、もうめんどくさいのです。超座りたい。もう超疲れた。座りてえ。うわっ。ぎりぎりで座れねえじゃん。ざけんなよボケ。座らせろっつーの。絶対おれの方が疲れてるし。間違いないし。早く降りろハゲ。そして死ね。自分が乗っていた車両に轢かれて死ね。とかね。もう疲れるのでやめにしました。電車で座りたい、と強く思う気持ちの、ずっとずっとずうっと先の方に戦争があるのだと、これは40%くらい本気でおもっています。と40%くらい本気で書いています。それになんだかあれじゃないですか。ほとんど座席って埋まってるじゃないですか。その余裕のなさ加減みたいなものもなんだか気になるのです。ふふん。空いてるけど座らないもんね。だって実際そんなに疲れてないし。3駅で降りるし。とか大人の余裕を見せたいものだ。あるいは、おばあさんが乗ってきたときのために何席かはつねに空けておこうよ。おこうか。うんうん。おこうおこう。いえーい!みたいな気遣いがちらりとでもあったらいいのになあとおもうのです。実際にそうしなくったっていいですよ。心の隅にそういう気持ちをちょこっとでもとどめておきたいものだなあとおもうわけです。あんなにまでしてイス取り合戦を繰り広げなくったっていいじゃん。優勝したらiPodでも貰えるのか。もちろん疲れてたら座ればいいよ。座りたければ座ればいいの。そして超混んでるのに牽制し合って目の前の空席を躊躇してる奴ら!アホか!座れ!ドア付近で押し潰されてる人のために一人分の空間を空けろ!次の駅で降りるとしても座れ!ただちに!と、まあそういうときは遠くから人波をかき分けてでも座るべきです。が、基本的には座るのをやめにしました。というお話でした。だって基本的に疲れてないですからね、ぼくは。それによく観察していると、人波に圧しまくられて翻弄され座れなかったお年寄りがその電車は諦めてまた次の電車を待つために並び直したりしているわけです。ぼくはそんなかわいそうなお年寄りの代わりに「すみません。席を譲ってあげてくれませんか?」と乗客の皆様に聞いてまわりたい。と同時にそんなに座らなくちゃ駄目なくらいならもう電車なんか乗るなババア死ね。とおもったりもします。なんだか人格が破綻している人みたいで恐いですね。